2012/12/19

マイケル・ケンナ:モノクロ世界 2/2

マイケル・ケンナの極北の美学には、たんなる抒情を超えた世界が広がっている。そこでは朽ち果てていく廃墟の美学ではなく、時間が結晶し、非現実化した空間美が写しこまれている。前述の原発の文章は2005年に書いたものだが、いま福島第一原発事故を経験したなかで、大伽藍という権威になぞらえた現代の怪物の不気味さは、いやがうえにも膨らみを増す。かつてそう感じたものは、物質的な恐怖よりも人間の罪深さとして強く意識するようになった。

2012/12/15

マイケル・ケンナ:モノクロ世界 1/2


はじめてマイケル・ケンナ(Michael Kenna,1953-) の写真集を見たのは、15年以上前の夏のニューヨークで、イーストサイドの大きな書店の書棚だった。その写真集には『Night Walk』というタイトルが記され、ページを繰り、妖しいまでに美しいモノクロプリントを目にするたび、まさに真夜中の神秘的世界をただひとり彷徨っているかのような錯覚を覚えたものだ。

2012/12/01

川田喜久治の粘りつく記憶


川田喜久治は、敗戦を17歳で迎えている。第一作品集『地図』がでたのはそれから20年後の1965年だ。しかし、川田の世代には、やはり戦争によって刻みつけられた身体感覚のようなものが、黒々と焼きつけられているという印象をもつ。しかも極めて完成度の高いかたちで。

2012/11/15

シャルル・フレジェと顔


シャルル・フレジェ(Charles Freger,1975 -) は、20022月から翌年11にかけて日本に訪れ、力士たちを撮影した。なかでもアマチュア相撲の力士たちを撮ったものは、ずいぶんと興味深いものがある。フレジェは土俵ではなく、若い力士たちがふだん稽古している場所を選んでいる。日常的な空間をあえて撮影場所とすることで、相撲にまつわる格式ばった伝統性を拭い去ろうとしたのだろう。

2012/11/01

シルク・イシの空間

コンテンポラリー・ダンスを見ていると、身体による気ままで奇妙な散文的要素を感じるのだが、これがヌーヴォ・シルク(nouveau cirque)になると、ある種の前衛詩のようなものになってくる。
その名の通り「新しいサーカス=nouveau cirque」の登場は1968年、パリ5月革命に溯るという。権威を否定したパフォーマーたちが路上に飛びだし、やがて70年代になると一座を構えてテントでの巡業を始めるアンダーグラウンドなグループが現われた。家族経営による家族経営のサーカスとは異なる集団である。
そのパフォーマンスは、アーティスティックで、突き刺してくるようなエネルギーに溢れていた。

2012/10/18

舞踏論2/2 : 舞踏と空虚

(承前)
スペインの建築思想家イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオー(Ignasi Sola-Morales Rubio)は、なんらかの一連の出来事が起こったのちに放棄された空虚な場所を「テラン・ヴァーグ」(terrain vague)と名づけている。都市の中心部に位置する活気に満ちた場所ではなく、その周縁部で朽ち果てていこうとしている場所。たとえばビルの隙間、生産をやめた工場の廃墟、開発途中で打ち捨てられた荒地――。それらはゲニウス・ロキの片鱗もないというのに、なぜか人を魅了してやまない。

2012/10/13

舞踏論1/2 : 土方巽の風だるま

人体までがそのままコピーされ、複製された生命の誕生も可能となっている時代だ。オリジナルが求められ続けた芸術の世界では、時代に先駆けるようにして、一足先にコピーへの動きがあった。しかし、起源をたどれば絵を描いたり、歌を歌ったり、踊ったりすることはなにかの模写だった。だとすればオリジナルということが、かなり怪しいものに映ってくる。自己表現という言葉にも、胡散臭さがつきまとう。むしろ、模倣すること、剽窃すること、化身することで、ある種の普遍性が誕生し、同時にそれでもなお失われることのない個性が浮かび上がってきたりもする。

2012/09/28

中平卓馬の伝説 2/2

(承前)
中平卓馬は編集者時代に、写真をとるか言葉をとるかで惑った。それにひとつの決着をつけたのがとう東松照明から贈られた黒いペンタックスだった。かといって中平の批評家あるいは詩人としての資質に疑うべきものはなく、それは写真においても充分に発揮されたといえる。

2012/09/20

中平卓馬の伝説 1/2


中平卓馬の写真論はなんとも刺激的で、その魅力は「なぜ、植物図鑑か」などにみられるラディカルな思想とともに、独特の文体にもよるところも大きい。そこからは70年代初頭の気配が強く漂ってくる一方で、そのラディカルさがかえってモダニズムにしっかりと足をつけている印象をあたえる。
一連の批評に比べると、中平の写真はつねに時代の先を走って、その速さには加速度がついてつねに半歩先、一歩先を駆けている。時代が追いついていかない。すでに伝説の写真家となっている中平が、その写真において正当に評価されるのはまだ先なのかもしれない。

2012/09/06

ベルト・テウニッセン、身体性 2/2

(承前)
ベルト・テウニッセンにはさらに、『Listen to your eyes』という写真集(2001)がある。精神障害者によるオーケストラを撮影したもので、音や楽器によって触発され、発見された悦びや驚きといった感情が、ひとりひとりの表情や仕草からあますところなく溢れ出ている。人間の心や感情と身体が一体となって、豊かな表情をみせているわけだが、これが表現できるのがいまや、精神障害者であるということに現代の病理があるのだろう。そう思えるほどに彼らが発散させているエネルギーが、多様で個性的でなにより開放的だ。

2012/09/01

ベルト・テウニッセン、失われたもの 1/2

家は風土に根ざしたもので、そこに住む人もまた当然ながら風土に深く関係している。ローカルであることで私たちはある歴史空間に属し、自身の存在証明を得ているということなのだろう。オランダの写真家ベルト・テウニッセン(Bert Teunissen, 1959-) の『Domestic Landscapes ‐家庭の風景-』プロジェクトを見ているとその思いが強くなる。

2012/08/15

石内都の傷

石内都の写真をはじめて目にしたとき、ずいぶん哲学的な作品だなぁという印象をもったのを覚えている。個人の資質によるのはもちろんだが、時代の影響という面も大いにあるだろう。

石内は1947年群馬県に生まれ、横須賀に育った。団塊の世代である。多摩美術大学で織を学んだ石内が、写真を撮りはじめたのは70年代後半になってからだという。すなわち30歳のころからだ。政治の季節は終わり、時代は内向からシラケに移っていた。そのなかにあって、79年『アパートメント』で木村伊兵衛賞を受賞。その後も精力的に写真集を刊行し、国内外で展覧会を行うなど、日本を代表する写真家となっていく。

2012/08/01

ホンマタカシの風景

ホンマタカシ(1962-)1998年に写真集『TOKYO SUBURBIA 東京郊外』を出版し、木村木村伊兵衛賞を受賞した。そこで提示されているのは、文字通り東京の郊外空間を形づくっている均質で単調な景観であり、そこに暮らす子供たちの姿だ。ニュータウンの風景や子供たちの、表面的な美しさのなかに感じられるある種の居心地の悪さ。それがホンマ写真を特徴づけていた。

2012/07/15

ジェリー・ウエルスマンの転置


ロートレアモンのいう「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い」は、デペイズマン(depaysement) の例としてしばしばとりあげられる。デペイズマン、転置とも訳されるこの言葉は、故郷からの追放あるいは本来あるべき場所から移動させることで生じる違和感のようなものをさし、シュルレアリストたちが制作に多用した概念だ。
ジェリー・ウエルスマン(Jerry Uelsmann,1934-)の写真も、このデペイズマンが用いられる。

2012/07/01

マリオ・ジャコメッリのいた町


凝視は細部の発見をもたらすと同時に、全体像の崩壊にいたることもしばしばある。凝視による文字の崩壊などは、だれしもが経験ずみのことだろう。たとえば漢字をじっと見つめていると、直感的に理解できていたその意味が不明になり、見知らぬ記号あるいは模様となってしまうことがある。あるジャンルの写真はそれをめざしているのかもしれない。自明である日常の崩壊を。
敬愛する写真家のひとりにイタリアのマリオ・ジャコメッリ (Mario Giacomelli, 1925-2000) がいる。アドリア海に面したイタリア北東部の小さな町セニガリア(Senigallia)に生まれ、その町で暮らしながら写真を撮り続けた。

2012/06/18

牛腸茂雄の身体

たしか90年代の初頭だったか、季刊誌「deja-vu」で牛腸茂雄特集が組まれ、飯沢耕太郎によってこの特異な写真家を再評価する気運が高まった。写真集『SELF AND OTHERS』では、他者のポートレイトななかに、そっと忍び込むようにして置かれた彼自身の、ハンディ・キャップを負った身体が不思議な存在感を保っていた。

2012/06/03

本城直季、真実のジオラマ 2/2

(承前)
本城直樹は 1978年の東京生まれ。東京工芸大学の大学院でメディアアートを研究し、その後、この独特の手法で人気を集めた。2004年に初夏のスウェーデンを撮った写真展覧会「swedish style」、05年には小学校の運動会を写した「small garden」を開催している。

2012/06/01

本城直季、真実のジオラマ 1/2


ジオラマの楽しさは、たとえそれが開放的な空間を模倣したものであっても、そこに漂うある種の閉鎖的感覚にあるのではないだろうか。閉じ込められることで、逆に想像力が膨らむ場合もある。
この感覚を助長するのが、その色彩や素材感がもつチープさだ。精巧でありながらミニチュアには限界があるのは当然で、ところが逆にそのチープさが想像力をかきたててくれる。

2012/05/19

ラリー・クラークという未完 2/2

雑誌「ニューヨーカー」に「まるでパンク・ピカソのようだ」と紹介されたラリー・クラークは、オクラハマ州の小さな町タルサ生まれた。71年に自叙伝的作品『タルサ』(tulsa)を発表。そこでは、ラリー自身を含め、暴力、銃、セックス、麻薬に溺れる若者たちの、無軌道な青春が克明に写し撮られていた。

2012/05/14

ラリー・クラークという未完 1/2


ラリー・クラーク(Larry Clark,1943-) は映画「KIDS」や「Another Day in Paradise」「KEN PARK」で、10代の無軌道な青春を描いた。71年に出版した写真集「Tulsa(タルサ) もドラッグとセックスにおぼれる若者の生態が扱われていた。
クラークの視線をたどると、とくに少年たちの未熟さや脆弱さへの共感が強く、そこにある種のエロティシズムの匂いがある。かなり挑発的な提示の仕方だが、実際は「いやぁ、こんなもんだよ」と淡々とリアルさを追求しているようにも見える。

2012/04/27

ディーアガルテン 2/2:政治性


ゲッツ・ディーアガルテン(Gotz Diergarten)の透明感に満ちた写真は、その並外れたデザイン性ゆえに、きわめてクールで芸術的な印象を与える。しかし、そこには先に触れたように、ある種の政治性が潜んでいるような気がしてならない。かといって、撮影者自身が意図して政治を意識しているというのではない。

2012/04/21

ディーアガルテン 1/2:透明感


ゲッツ・ディーアガルテン(Gotz Diergarten, 1972 -) の撮るヨーロッパの家々や窓は、建造物としての存在感や重厚感を失い、まるで背景となった白っぽい曇り空のなかに溶けいってしまいそうだ。それほどの透明感が写真に漂うのは、色のセンスやタイポロジーという見せ方に負うところがかなり大きい。

2012/04/08

米田知子、記憶を暴く 2/2

2004年の夏に横浜美術館で開催された「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III.」展では、歴史を背負った特定の場所を撮影した作品を展示。米田知子は『地雷原(地雷が埋められたサッカー場/サラエボ』などの作品で、一見すればなんの変哲もない場所をカラー写真で撮影しながら、残酷な物語を引きだそうとしていた。“写真の暗喩”とでもいえばいいだろうか。

2012/04/03

米田知子、記憶を暴く 1/2

米田知子が撮った高層集合住宅の並ぶ震災10年後の芦屋シーサイドタウンの写真を見て、ホンマタカシが撮ったアイスランドの写真を思いだした。水色に澄んだ、乾いた空と近代的で、どこか冷たさを感じさせる住宅群。そこに漂うある種の透明感や希薄さが、違和感となって、意識のなかに薄い皮膜を張っていく。

2012/03/20

ダイアン・アーバスの神経 3/3

(承前)
1970年にダイアンを撮影した写真が残っている。彼女は自らの作品を手に、椅子に腰かけ、なにか問いかけられたのかその顔を横に向けている。47歳の彼女は髪を短くカットし、ボーイッシュではあるが、その表情からは年齢以上の疲れさえ感じられる。

2012/03/15

ダイアン・アーバスの神経 2/3

(承前)
ポートレイトに求められるのは、被写体との距離感覚であり、ダイアン・アーバスの場合にはそれがじつに微妙だ。正面から、ずんずんと迫っていくように見えて、しかし、ほんとうのところは一定の距離を保ち、冷たく対象を見据えている。その距離感は、アーバスに影響を受けたという牛腸茂雄 (Shigeo Gocho, 1946-83) が、おそらくは生得的にか、もしくは胸椎カリエスのために負った身体的ハンディキャップゆえにもちえた感覚にかなり近いものがある。

2012/03/10

ダイアン・アーバスの神経 1/3

港に近い小さな、薄暗いバーには、25年近く前に死んだジョプリン(Janis Joplin, 1943-70) の歌う『summertime』がかかっていて、壁にはいくつかのポートレイト写真が飾られていた。もう20年以上前のことだ。写真に目をやると、それらはダイアン・アーバス (Diane Arbus, 1923-71) が撮ったフリークスで、だれもがしっかりとレンズに目を向けてフレームのなかに収まっていた。かなりの痛々しさを感じさせながら。

2012/03/01

奈良原一高の理知

奈良原一高(Narahara Ikko, 1931-)は早稲田大学大学院の院生時代に、個展『人間の土地』でデビューした。時代によって技法とテーマは変わるものの、どこか無国籍的な気配がある。時代や社会から隔絶された空間が作品のなかに切り取られていて、それがきわめて理知的な印象をあたえるからかもしれない。まるでキリコの絵でも見ているような。日本的な湿っぽい感情の介在をはねつけたその主知的な写真表現は、いまみても新鮮味がある。

2012/02/15

ニコラス・ニクソン、尊厳の肖像


ニコラス・ニクソン(Nicholas Nixon,1947-) の撮るポートレイトは、彼自身と親密な関係にある人間が多く登場する。なかでも妻と彼女の姉妹を1975年から毎年撮り続けている写真には、あきらかに時間のもつ親密さと冷酷さが背中あわせになって写しだされている。

2012/02/01

中国近代写真の行方


中国の凄まじい変化は、どういうわけか気持ちを揺さぶるものがある。前のめり過ぎる姿勢は危うく、一党独裁の政治体制はきわめて独善的だ。しかし、それだけで中国を理解できるほど中国は一枚岩ではない。

2012/01/15

深瀬昌久の凄み


私小説には、その視線が自己の内面探求に向かうものと、他者との関係に注がれるものがあるようだ。
写真も同じで、「私写真」と呼ばれるものには、この2つの視線のいずれか、もしくは両者の交錯が印象的だ。

2012/01/09

風景写真の変容 2/2 :デジタル・キッチン


1997年の『ランド・オブ・パラドックス』展に、小林のりお (Kobayashi Norio,1952-) は郊外住宅地を撮影した写真を出品した。1952年に秋田県大館市で生まれた小林は、高校時代に東京の小田急沿線百合ヶ丘に住み、変わり行く風景に興味をもったという。その後、東京歯科大に入学するが中退。東京綜合写真専門学校で写真を学び、92年出版の『FIRST LIGHT』で木村伊兵衛写真賞を受賞した。現在は東京西郊のあきる野市に住み、一貫して郊外の風景を撮り続けている。

2012/01/07

風景写真の変容 1/2 :90年代

写真展『ランド・オブ・パラドックス』が兵庫県の芦屋市立美術博物館で開かれたのは、1997年のことだった。雑賀雄二、畠山直哉、小林のりお、山根敏郎の4人の写真家が1984年から96年にかけて撮影した写真84点で構成された展覧会だ。
彼らがテーマとしたのは日本が抱える負の状況だ。
被写体となっているのは、人工的な都市空間や郊外住宅地、造成中の埋立地、開発によって原形をとどめることなく削られた山、あるいは廃鉱となり打ち捨てられた島などなど。そこでは、さまざまな空間を通して、人間の営みの空虚さが表現されていた。しかし、彼らが切り取る世界には、単純な怒りや挑戦的な姿勢があるわけではない。むしろ淡々と、美しさすらたたえながら傷つけられた空間が提示される。

2012/01/03

ニューカラーの距離


20世紀後半の人工的で空虚な風景を、大判カメラによって捉えた「ニューカラー」と呼ばれる一連の作家たちの作品がある。80年代以降の多様な写真表現に道を拓いたのだが、その写真技法よりも気になるものがある。それは、ニューカラーにおける対象との「距離」だ。

2012/01/02

ニュー・トポグラフィクスからの展開 2/2

(承前)
それから30年。
ニュー・トポグラフィクスを出発点としたさまざまな試みが、風景写真の世界で繰り広げられてきた。その渦中にあって興味深いのは、「場所」の捉え方が大きく変化していることではないだろうか。
もっとも顕著な現象としては、場所の履歴から逸脱した「場所」というものを、写真家たちが表現しはじめているということだ。歴史性と結びついた「場所」の概念が大きく揺さぶられているともいえる。

2012/01/01

ニュー・トポグラフィクスからの展開 1/2


ルイス・ボルツ (Lewis Baltz,1945-) の写真には、自然と人工物のせめぎあう姿が淡々と、まるで科学者のような冷徹さで写し撮られている。
1975年に発表された処女作『ニューインダストリアル・パークス』(New Industrial Parks)では、米カリフォルニア州の新興工業団地を撮影、その後も都市郊外やスキーリゾート開発などを撮影し、ひとつの頂点を極めてゆく。