2011/10/30

エリナ・ブロテルス 3:ゴドー

風景もまた、近年のブロテルスにとっては重要なモチーフだ。『ニュー・ペインティング』シリーズは、近世ヨーロッパ絵画の風景を自身の写真のなかに取り込みながらつくりあげたもので、そこにロイスダールやときにフェルメールを感じる。
ここ数年、ヨーロッパの写真家には近世に描かれた理想的風景に寄り添うような作品が見られるが、かといってそれは過去の模倣ではない。失われた時へのオマージュでもない。おそらくは現代の空気のなかに当時のような時代変革の匂いを感じとって、それをイメージ化しようとしているのだと思われる。

2011/10/27

エリナ・ブロテルス 2:生きられた経験

『愛について・・・』シリーズで気になるのは、自身との距離のとり方だろう。
ブロデルス自身の結婚を写した『結婚の肖像』 (1997)、同じく離婚した時の『離婚肖像』 (1998)、『私はセックスを嫌う』 (1998)などは20代の女性にとって抜き差しならない事態を、冷めるでもなく熱くなりすぎるでもなく捉えている。ここでは生きられた経験が写真によって形や色をあたえられ、それがまた経験に還元される。そんな構造があるのかもしれない。つまり、表層的に現代を生きる女性の生態を記録するというより、もっと生活に密着した思考が彼女のなかにあって、それが写真表現と密接に絡んでいるということだ。

2011/10/24

エリナ・ブロテルス 1:分析から創造へ

フィンランドの首都ヘルシンキに生まれたエリーナ・ブロゼラス(Elina Brotherus, 1972)  は、気になる写真家のひとりだ。現在はパリに暮らしているので、エリナ・ブロテルスとでも発音すればいいのだろうか。多作な写真家だが、その作品にはやはり北欧の空気を感じさせる透明感が通低音として流れている。かといって、なにかを美化しようというのではなく、身の周りの日常を素朴に見つめなおそうとする飾らない眼差しのなかに、現代的な新しさを感じる。

2011/10/21

高梨豊の都市と場所


最初に見たのは『東京人』シリーズのなかの、『船橋市 船橋ヘルスセンター』という写真だった。だだっ広い海岸を前に、防波堤に腰かけている男が写されている。おそらく21mmレンズなのでしょう、その背中が小さいのだけれど、このなにもない空間をひとつの場所にするだけの存在感がある。
人に寄り添って、人に寄り添われて、ある空間はひとつの場所になるのだろう。

2011/10/19

児玉姫子の肖像写真


児玉姫子の、写真家としてスタートはけっして早くはない。経歴をみれば1955年に秋田に生まれ、プロカメラマンとして仕事を始めたのは93年のこと。すでに38歳という年齢に達していた。
Passersby 静かな肖像』はその児玉が、2000年から2004年にかけて青山、表参道を中心に、東京の街で出会った人々を撮影したモノクロのポートレイト作品集だ。

2011/10/17

中條均紀と山古志村


中越地震で大きな被害を受け、その名を知られた新潟県山古志村は、同県屈指の豪雪地だ。その雪も溶け、5月の節句のころになると、この村が日本有数のこいのぼり産地であることを思い起こす。さらに、梅雨の季節には、山を切り開いてつくった棚田がなみなみと水をたたえ、この村にまるで箱庭のような美しさをもたらしてくれる。

2011/10/15

ジェルメーヌ・クルル:肖像 3/3


1930年代半ばから、ジュルメーヌ・クルルはモンテ・カルロやモナコ、さらにブラジル、フランス領赤道アフリカへと移り住む。ナチスの台頭を嫌ってのことだった。44年にフランスに戻ってくると、パリ開放を写真に収め、その後2年間は戦争特派員として東南アジアのバンコクに滞在する。そこでホテルを経営するなど、結局20年という年月を過ごすことになった。
その間、ダライ・ラマに傾倒し、インドに亡命したチベット仏教徒たちと暮らしをともにしたりもしている。

2011/10/13

ジェルメーヌ・クルル:機械 2/3


クルルの二度目の結婚相手は、オランダ人のドキュメンタリー映画製作者ヨリス・イヴェンス(Joris Ivens,18981989)だった。結婚後は、彼女も映画製作にのめりこむ。ロシアのフィルム・モンタージュやバウハウスの実験的写真を吸収し、アムステルダムでは都市の機能美に魅せられていった。こうして20年代半ばから10年あまりの間で、彼女が撮影した作品によって前衛写真家としての地位を確立していく。

2011/10/12

ジェルメーヌ・クルル:移動 1/3

移動の世紀。
ジェルメーヌ・クルル(Germaine Krull,1897-1985)は、このいささか手垢のついた言葉を、身をもって体験した女性写真家といえる。
クルルは1897年、ポーランド(当時プロイセン)の工業都市ポズナニ近郊に生まれた。両親はドイツ人で、エンジニアの父は彼女を学校に通わせることなく自分で教育を施した。15歳で両親が離婚するまでそれが続く。この間も、イタリアやスイス、フランスなどなどヨーロッパ各地を一家は移動している。

2011/10/10

フォコンの人形たち 2

(承前)
フォコンの写真のなかで、奇妙なオーラを発しているのはやはり初期の作品群だろう。そこには独特なシュルレアリスム的世界が展開している。ヴェロニック・ジリア(Veronique Giriat)の写真などにも、フォコンの影響がありありとみられる。ロラン・バルト(Roland Barthes,1915-80)による大量の批評も残されていて、哲学の素養といい少年愛的な感性といいバルトが彼の虜になったのはわかる気がする。

2011/10/09

フォコンの人形たち 1

フランスの写真家ベルナール・フォコン(Bernard Faucon,1950-)が少年のマネキンを使って撮影した世界には、奇妙な惨酷さがある。構築された世界はノスタルジックな少年時代の遊びの情景なのだが、無機的なマネキンゆえに世界は角質化し、死の気配すら漂っている。

2011/10/07

土田ヒロミの新・群集とは?

写真家土田ヒロミ (Tsuchida Hiromi,1939-) の新刊『新・砂を数える』を見ている。
かつて日本の風土にこだわって写真集『俗神』を撮り、つぎに群集に目を向けて日本人の姿を追ったのが『砂を数える』だった。『新・砂を数える』はそのタイトルが示すように、これらの延長線上にあるものと考えていいだろう。

2011/10/06

土田ヒロミの群集



土田ヒロミは写真集『俗神』で1970年前後の日本各地のハレの場を撮影した。
俗神。
すなわち風土に根を張って生きる人々の姿を写し撮ったのだ。

2011/10/04

坂田栄一郎とポートレイト


テレビがいやおうなく出演者たちの内面を暴き出してしまうとすれば、写真は一瞬のうちにその内面を抉りとる貪欲さが撮影者に要求されるのかもしれない。

24回土門拳賞を受賞した坂田栄一郎(Sakata Eiichiro,1941-)の写真は、各界の著名人のポートレイトとその横に自然を撮った風景写真を並べた2枚組みとなっている。前者がモノクロ、後者はカラー。その対比のなかで、被写体のぎらぎらとした輝きではなく、内側から染みだしてくるような、あるいはその人物の底で光っているようなものが掬いとられ、そっと提示されている感じがある。

2011/10/02

渡辺眸の不思議な交信

女流写真家の草分け的存在である渡辺眸 (WtanabeHitomi,1939-) を知ったのは、東大全共闘を写した写真からだ。それは霧のなかからぼんやりと現れた群像で、機動隊によって連行される闘士たちの姿だった。どこかしら死地に向かう兵士のようで、整然と、静かに行進しているように見えた。