2010/07/30

ブラッサイの視線 1


パリに耽った時期があった。そのころブラッサイ(Brassai, 1899-84)の撮ったガーゴイルの写真を見て、その悪魔的妖しさに惹かれた。ノートル・ダム寺院からパリの街を眺めているあの怪物だ。

2010/07/24

アキム・リポースの撮る「子供たち」


子供をテーマに掲げる写真家は多い。飢餓と貧困の姿、なにげない日常、あるいは独自の美学をもとにした演出写真。それらは写真家の思いに加えて、幼いものがもつ不思議な感応力によって、見る者の視線を捉えるものになる。子供と動物はある意味で“飛び道具”になりうる。

2010/07/22

ボルツ、場所の美学とその後 3


ボルツの写真が大きく変化するのは『TOSHIBA』からだ。1989年、はじめて写真集をだしてから15年目のことだ。
それまでのボルツは、無味乾燥な土地を写し撮りながらも、その視線の背後には荒野への郷愁があった。それはおそらく開発によって深手を負ったアメリカの大地への慈しみであり、開発への疑問符でもあったはずだ。

2010/07/20

ボルツ、場所の美学とその後 2


写真集を出版する前年、すなわち1973年のことだ。オンタリオ湖の南岸、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館で「ニュー・トポグラフィクス」展が開催されている。
ロチェスターは19世紀に米国史上最初の「急成長都市」としても知られた街で、ここで同展が開かれたこともなにか因縁めいている。展覧会はウィリアム・ジェンキンスによって企画され、副題には「人間が変えた風景の写真」(Photographs of a Man-Altered Landscape)と記されていた。10人の写真家たちが作品をだし、ボルツもそのひとりだった。

2010/07/18

ボルツ、場所の美学とその後 1


「ニュー・トポグラフィクス」の写真家として1970年代に登場したルイス・ボルツ(Lewis Baltz,1945-)は、当初からインダストリアルな空間に関心があった。処女写真集『ニューインダストリアル・パークス』という名前からしてその傾向はうかがえる。場所性を排除し、冷たい空間を撮影の対象に選んだともいえる。ただし当初は記憶の痕跡にも彼はとどまっていた。正確にいえば、両者の境界に視線が向けられたのだが、急速に無味乾燥な物理的「空間」へと傾いていく。

2010/07/16

メカス、日々の映像詩 2


1971年、メカスは弟アドルファスとともに、27年ぶりに故郷リトアニアの地を踏む。母や友人たちとの再会、彼らを取り囲む風景。その映像は『リトアニアへの旅の追憶』として87分の作品にまとめられる。故郷の村はすでに地図の上には存在せず、廃村となり、彼の追憶のなかにのみ生き続ける。

2010/07/14

メカス、日々の映像詩 1


ジョナス・メカス(Jonas Mekas,1922-)の映像は、かつてそこにあった煌きを映しだす。詩人・映像作家のメカスはリトアニア生まれ、49年にアメリカに亡命した。ナチスに追われ、戦後5年間に亘っていくつかの難民キャンプ生活をへたあとのことだ。

2010/07/08

エルスケン、窓辺のアン

窓の写真に惹かれるが、窓辺の人というのもいい。はじめて見たときにもっとも衝撃を受けたのは、オランダ生まれの写真家エド・ファン・デア・エルスケン(Ed van der Elsken, 1925-90)がパリで撮った窓辺のアンだ。