2010/06/03

大野一雄の即興

肉体のなかには、命というものが形となって宿っている。舞踏は、この“肉体”をなによりも大切にした。信仰といってよいほどに。それゆえ、そこに巣食う醜さや秘密を抉りだし、包み隠さず曝けだそうとする。ナンセンス、破廉恥と蔑まれようが、狂気と名指しされようが、あらん限りの力をつくして命を輝かせ、形を炙りだす。

大野一雄の舞踏は、徹底した即興によってそれをした。その舞踏は、形式を肉体にあてはめることをしない。肉体に宿った形を瑞々しく象っていく。ときに大野の姿はこの世のものではない妖しさを纏った。しかし、そのロマンティシズムは徹底したリアリズムに支えられている。大野はこう語っている。形はおのずと命に追いすがってくるものだと。





【略歴】 1906年北海道函館市に生まれる。日本体育会体操学校(現:日本体育大学)に学ぶ。29年来日公演したスペインの舞踊家ラ・アルヘンチーナ(アントニア・メルセ)に感銘を受け、舞踏家を志す。横浜で体育教師をするたわら、石井漠に師事しモダンダンスを習う。36年ドイツでマリー・ウィグマンにノイエタンツを学ぶ。帰国後、江口・宮舞踊研究所に入所。38年召集を受け、中国・ニューギニア戦線で約8年を過ごす。

戦後、踊りを再開し、49年はじめてのリサイタルを開く。50歳を過ぎて暗黒舞踏の土方巽と出会い、60年代を通して共演を重ねながら、舞踏の世界を形づくる。息子で舞踏家の慶人によれば、かつて「花は美しい。その美しさを踊れといっていた一雄は、自身が花になってしまった」という。さらに70歳になって、友人で美術家の中西夏之の展覧会にゆき、ある絵を見てラ・アルヘンチーナを想起。「50年間、その舞踊家の話はしたこともなかった」というが、突然の覚醒のように踊りを着想。77年に発表した独舞踏「ラ・アルヘンチーナ頌」で高い評価を得る。80年教職を退く。海外公演も多数行い、世界的な評価を得た。2010年6月死去、享年103。




  

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