2010/12/03

ジャック・ラドクリフ:娘との距離


家族の肖像というテーマは難しい。その困難さは多分に距離にある。現実においてさえ困難な距離感を、作品として仕上げるには余程周到な考察か、もしくは思いをストレートに打ちだすカだろう。ジャック・ラドクリフ(Jack Radcliffe)は、後者を選んだ。

2010/10/06

ダイクストラ、海辺の少年少女たち 2


ポートレートに浮かびあがる違和感というのは、ダイアン・アーバスなどの写真にも感じられるものだ。はじめて見た瞬間から、気持ちの底がざわざわと蠢く。
アーバスの写真もまた、被写体をやや下から写し撮っている。リネケ・ダイクストラがその影響を受けたのかどうか、少なくともアーバスを見ていないはずはない。しかし、アーバスの被写体の確たる存在感に比して、ダイクストラのそれは彼岸にでもいるかのようだ。背景はできるだけ余分なものを排除し、よりミニマリスティックにルなっている。それが均一的な印象をあたえるが、かえって被写体のもつ個性を強調するという効果をもたらしている。

2010/10/04

ダイクストラ、海辺の少年少女たち 1

オランダの女性の写真家リネケ・ダイクストラ(Rineke Dijkstra, 1959-)の作品には、ある種の神々しさが宿っている。ティーンエージャーを含めた若者たちのポートレートを主にカラーで撮影しているが、全体的に色調は淡く、人生の過渡期にある彼らの浮遊感がまるで思い出をつづるように写しとられている。

2010/09/22

マルティーヌ・フランク、風景としての人 2

マルティーヌ・フランクは美術の勉強を終えると、パリで写真家ジョン・ミリらの助手をする。しかし、どうもじっとはしていられない。行動派である。63年からアジアを旅して写真を撮り始める。まだ25歳だ。65年にフリーランスになると、欧米の雑誌に作品を発表するようになった。

70年には写真家集団マグナム創設者のひとりだったブレッソンと結婚。年の差は30だった。その後、フォトエージェンシーを設立し、80年にマグナムの準会員となり、83年に正会員として迎えられている。

2010/09/20

マルティーヌ・フランク、風景としての人 1


マルティーヌ・フランク(Martine Franck, 1938-)という名前は以前から聞いていたが、その写真についてはほとんど知らなかった。知識としてあったのは、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの夫人であったということばかりで、写真も撮っていたという程度でしかない。

その名を久しぶりに見かけたのはこの夏のことで、東京・銀座ののシャネル・ネクサス・ホールで彼女の写真展が開催されるという。「女性への賛美」をテーマに、この写真家が撮ったフランスの女優や京都の芸者、あるいは移民施設で暮らす女性などモノクロ約60点が展示される。たとえばこれまでにも、京都・祇園の何必館で2008年秋にマルティニーク・フランク展が開かれた。興味がないではなかったが、訪れる機会はなかった。

2010/09/10

緑川洋一、豊饒の海 3


緑川洋一が光り輝く海の撮りはじめたのは、59年に4カ月間ヨーロッパを旅し、その際にノルウェーで見た海の光景に触発されたことによる。時間によって移り変わる異国の海の情景が、故郷の海のそれと重なった。

2010/09/08

緑川洋一、豊饒の海 2


さまざまなテーマに手を染めることは、創作者として得策ではない。それは緑川洋一にも充分わかっていたようだ。かといって一つのテーマを発見するのは容易ではない。それは自身の探求でもある。緑川はテーマを模索していたころも瀬戸内の光景だけは撮り続け、50年代になるとそれらが一つの塊として見えてくる。

2010/09/06

緑川洋一、豊饒の海 1


のどかな内海に牡蠣筏が浮び、漁船のエンジン音が聞こえる。海岸線は複雑で、島が多く、日の出や夕暮れ時には、光の具合で海は刻々と表情を変える。瀬戸内の光と色彩に満ちた風景写真で知られる緑川洋一(Midorikawa Youich, 1915-2001)は、ここ、岡山県の虫明に生まれた。

2010/08/21

アヴェドン 私小説的肖像 3


アヴェドンの肖像写真には、辛らつさとユーモアがある。自身を撮ったポートレートにもそれは滲んでいる。その奥に見据えているのは、生々しい個人の生の形だが、それを生で提示するようなことはしない。功成り名を遂げた人々を彼は撮るときもそうだ。それがドキュメンタリーでありながら、アヴェドンなりの味つけがなされる。それが彼のやり方だ。

2010/08/19

アヴェドン 私小説的肖像 2


多木浩二は「肖像写真」のなかで、はじめてアヴェドンの写真に興味をもったのはシチリアのノトで撮った少年の写真(Noto, Sicily, September 5th, 1947)だと明かしている。多木はこの写真について書いた文章を引用する。

2010/08/17

アヴェドン 私小説的肖像 1


文学が人間の諸相を捉えようとするものなら、写真もまたその側面をもつ。コロンビア大学に入学してまもなく自らの文学的才能に見切りをつけ、リチャード・アヴェドン(Richard Avedon, 1923-04)は父親から譲られたRolleiflexを手にした。

2010/08/14

渡辺兼人、日常の漂白


漂白の匂いがする写真家だ。80年に金井美恵子との共著「既視の街」が出版。翌年、ニコンサロンで同名の写真展を開き、木村伊兵衛写真賞を受賞する。渡辺兼人(Watanabe Kanento,1947-)、34歳のときである。

2010/08/10

ヘレン・ファン・ミーネの少女たち





人は人に惹かれる。だからこそ人の顔に眼がいく。だが顔は謎だ。ポートレートを撮る写真家は、その謎に眼を凝らす。謎を炙りだそうとする。これまで多くの写真家がそうしてきた。しかし、最近になってむしろ顔やその表情に意味をもたせることを拒否するようかのような流れがある。風景写真が無機的でフラットにな様相を呈していったように。風景からの逃走、意味からの逸脱。

2010/08/01

ブラッサイの視線 2


ブラッサイが後世に名を残すのは、やはり名著と呼ばれる『夜のパリ』(Paris de Nuit)を出版したことによる。32年のことで、ブラッサイ33歳のときだ。文字通り夜間に撮影したイメージが64枚、そこに掲載されている。そこでは、昼間とはまったく異なる人間たちが集まり、街は違った表情をみせる。

2010/07/30

ブラッサイの視線 1


パリに耽った時期があった。そのころブラッサイ(Brassai, 1899-84)の撮ったガーゴイルの写真を見て、その悪魔的妖しさに惹かれた。ノートル・ダム寺院からパリの街を眺めているあの怪物だ。

2010/07/24

アキム・リポースの撮る「子供たち」


子供をテーマに掲げる写真家は多い。飢餓と貧困の姿、なにげない日常、あるいは独自の美学をもとにした演出写真。それらは写真家の思いに加えて、幼いものがもつ不思議な感応力によって、見る者の視線を捉えるものになる。子供と動物はある意味で“飛び道具”になりうる。

2010/07/22

ボルツ、場所の美学とその後 3


ボルツの写真が大きく変化するのは『TOSHIBA』からだ。1989年、はじめて写真集をだしてから15年目のことだ。
それまでのボルツは、無味乾燥な土地を写し撮りながらも、その視線の背後には荒野への郷愁があった。それはおそらく開発によって深手を負ったアメリカの大地への慈しみであり、開発への疑問符でもあったはずだ。

2010/07/20

ボルツ、場所の美学とその後 2


写真集を出版する前年、すなわち1973年のことだ。オンタリオ湖の南岸、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館で「ニュー・トポグラフィクス」展が開催されている。
ロチェスターは19世紀に米国史上最初の「急成長都市」としても知られた街で、ここで同展が開かれたこともなにか因縁めいている。展覧会はウィリアム・ジェンキンスによって企画され、副題には「人間が変えた風景の写真」(Photographs of a Man-Altered Landscape)と記されていた。10人の写真家たちが作品をだし、ボルツもそのひとりだった。

2010/07/18

ボルツ、場所の美学とその後 1


「ニュー・トポグラフィクス」の写真家として1970年代に登場したルイス・ボルツ(Lewis Baltz,1945-)は、当初からインダストリアルな空間に関心があった。処女写真集『ニューインダストリアル・パークス』という名前からしてその傾向はうかがえる。場所性を排除し、冷たい空間を撮影の対象に選んだともいえる。ただし当初は記憶の痕跡にも彼はとどまっていた。正確にいえば、両者の境界に視線が向けられたのだが、急速に無味乾燥な物理的「空間」へと傾いていく。

2010/07/16

メカス、日々の映像詩 2


1971年、メカスは弟アドルファスとともに、27年ぶりに故郷リトアニアの地を踏む。母や友人たちとの再会、彼らを取り囲む風景。その映像は『リトアニアへの旅の追憶』として87分の作品にまとめられる。故郷の村はすでに地図の上には存在せず、廃村となり、彼の追憶のなかにのみ生き続ける。

2010/07/14

メカス、日々の映像詩 1


ジョナス・メカス(Jonas Mekas,1922-)の映像は、かつてそこにあった煌きを映しだす。詩人・映像作家のメカスはリトアニア生まれ、49年にアメリカに亡命した。ナチスに追われ、戦後5年間に亘っていくつかの難民キャンプ生活をへたあとのことだ。

2010/07/08

エルスケン、窓辺のアン

窓の写真に惹かれるが、窓辺の人というのもいい。はじめて見たときにもっとも衝撃を受けたのは、オランダ生まれの写真家エド・ファン・デア・エルスケン(Ed van der Elsken, 1925-90)がパリで撮った窓辺のアンだ。

2010/06/28

エレン・サマーズ、踊りと映像 2

エレン・サマーズはオーストラリアのパースに生まれ、米ボストンで育った。その後、1950年代にはニューヨークに移り住んでいる。ダンスと映像を結びつけるという構想は、かなり初期から彼女のなかに芽生えていた。

彼女がやろうとしたのは、おそらく新しいかたちで生の瞬間を表現したかったのではないだろうか。下の映像にはそれが特徴的だ。ふたりのダンサーがゆっくりとした動きのなかで近づき、地面を蹴って飛翔する。そのままm抱きあおうとした瞬間、彼女たちは身を翻して、美しく着地する。この映像は「Two Girls Downtown Iowa (1973)」とある。

モダンダンスに詳しければ、このスタイルはまさにコンタクト・インプロビゼーション(contact improvisation)である。72年にスティーブ・パクストン(Steve Paxton)が考案したもので、ふたりのダンサーが身体の一部を接触させつつ行い即興舞踏をさす。スティーブもジャドソン・ダンス・シアターの重要なメンバーだった。
即興ダンスは本来、ひとりで踊られるものだったが、ここに他者を持ち込むことで、未知なる動きや意外な展開が生まれる。これによって、ダンスが観客を意識するものから、自身の身体の声を聞き、対峙するダンサーの動きに知覚を集中させる新しい展開が誕生した。

2010/06/26

エレン・サマーズ、踊りと映像 1



ダンスの素晴らしさ、あるいは優位性ともいうべき要素は、その一回性にある。二度と再現できないという刹那の芸術が纏っているのは、一瞬の形と場の感覚だろう。

2010/06/24

バニエ、普段着のポートレート 2

一群の写真を見て、これはだれが撮ったのだろうと思う。写真が優れていたというより、被写体に惹かれてのことだ。最初はそこに映っているのがだれなのか、わからなかった。見ているうちに、気づきがあった。「ゴドーを待ちながら」を書いたサミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906-89)だと。それにしても痩せている。ショートパンツ姿の痩せた老人が、海岸べりを歩いている。女性にも見まがうばかりのしなやかさだ。

フランソワ・マリー・バニエの写真がいいというより、ベケットがいい。いかにも無防備だ。場所はおそらくモロッコのタンジェだろう。多くの作家が取り憑かれた街。間と沈黙による芝居を書きあげたベケットがそこにいる。思想が写真に浮かびあがるのではない。むしろそういうものを剥ぎ取ったベケットが写っているというべきだろう。
バニエは器用で才能もあるが、コクトーになれるわけではない。バスキアになれもしない。しかし、人としてのベケットを、あるいは作品によって偶像化された著名人たちを、その心の隙間に入り込んで写し撮ることはできる。これはそういう写真なのだ。 (了)





2010/06/22

バニエ、普段着のポートレート 1


フランスの純文学系作家フランソワ・マリー・バニエ(Francois-Marie Banier,1947-)の写真展が東京都写真美術館で開かれたのは10年前、2000年秋のことだった。大きく引き伸ばしたモノクロ写真に、カラフルなペイントを施したり、細かい字でなにかを書きつけたり、被写体の輪郭をなぞったりしたものだ。とくに珍しくはない。写真自体は静謐だが、そこにさまざまな不純物が持ち込まれる。まるで日常のようだ。被写体は俳優や作家、映画監督、ピアニスト、あるいは無名の人々。なにげない表情でフィルムに収まっている。とくに優れた写真という印象ではない、むしろ素人っぽい。それがパリではよかったのだろう。

スキがある、というのはたしかに美徳だ。少なくとも人を惹きつける。人目を意識しすぎたナルシスティックな存在は、人を遠ざける。写真も同じだ。書き込みや加工を可能にし、人を近づける。2007年には「Le Brestalou」と題した写真集を出版した。俳優ジョニー・デップとその家族を撮影したものだ。そこに登場するのは普段着の彼らの姿だ。しかし、撮られている以上、撮影者と被写体の関係がいくら密であったとしても、どこかに自己演出が忍び込む。この写真集はその衒いなき衒いを感じる。悪くもないが、特筆すべき強烈な魅力があるわけでもなかった。

バニエは絵も描く。その絵もやはりテキストが多用され、絵と文字、あるいはフリーハンドによる描線がデザイン的な画面を作りだしている。そこにやや緊張感が漂うのも、いまふうだ。
この作家のなにが気になったのか。それは被写体への、とりわけ名前の知られた人物への接近の仕方というようなものかもしれない。(つづく)

 Banier' site
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■関連本
 

2010/06/13

ピーター・ヒューゴ、静かなる暴走

南アフリカの写真家ピーター・ヒューゴ(Pieter Hugo)の作品が凄い。
脱色したような淡い色彩のなかで、なにげない路上の風景や家族の肖像、ポートレートが目に映る。その背景にはアフリカの血に染まった物語がうずたかく積もっている。それを説明されるまでもなく、静かな写真からそのただならぬものの気配が充分に伝わってくる。たぐいまれな才能だ。


1976年ケープタウンに生まれ、そこで育つ。この30年あまりのアフリカを直に呼吸してきた。作品には南アフリカのほか、ジンバブエと南アの国境の街ムシナ(MUSINA)やメッシナ(Messina)、ルワンダで起きた大量殺戮を取材。戦闘や暴力シーンを撮影するのではなく、日常の暮らしをカメラに収めながら、そこから溢れでようとするかのような歴史の凄惨さをすくいとっている。


男たちがまるで犬でも散歩させるように紐でつないでいるのは、口を縛ったハイエナだ。同じように連れ歩いているマントヒヒはどこか狂気じみている。写真集の序文を読めば、彼らが旅芸人であるとわかるが、それでもそこに潜む狂気が減じるわけではない。アルビノを撮った肖像は、その症状ゆえに殺害された人々を思い起こさせる。森のなかにたたずむ青年は、ただそこにいるだけでなぜか暴力の匂いを漂わせている。














植民地として長く西欧支配を受けたアフリカゆえに、西欧近代の文化に充分に訴えうる文化的背景を抱えながら、独自の歴史を歩んできたアフリカの姿を捉えた写真群だ。肌がひりひりするような戦慄と興奮を覚える。


※Pieter Hugoの写真サイト
http://photography-now.net/pieter_hugo/
http://www.pieterhugo.com/


2010/06/10

フェロノーの豊かな幻影

パスカル・フェロノー(Pascal Fellonneau)というフランスの写真家について、私はほとんどなにも知らない。1968年にボルドーで生まれ、少年時代の多くをブドウ農園をもつ祖父のtころで過ごしたと写真家自身がウェブサイトに記している。その農園の写真は、愛情に満ちて、人の暮らしの匂いがする。都会ではない、田園地帯の豊かな薫りだ。

この写真家がどういうつながりがあったのか、アイスランドの風景を数多く作品化している。おもちゃの国を連想させるような建物と、はかなげな淡い色をした自然。そこにはボルドーほどの太陽の恵みはないが、清潔で、やはり人の暮らしを感じさせる。

ホンマタカシのアイスランドよりもさらに淡い。人との距離が遠い。にもかかわらず人の気配がある。ときに人がいたという過去の幻影を見ているのかと思うことさえある。その不思議な感覚が見る者を惹きつける。
アンドレアス・グルスキーらドイツの現代写真にも似たような感覚を覚えることがあるが、彼らのもつ批判的な眼差しからは遠い。フェロノーの幻影には豊かな生がある。

※ Pascal Fellonneau's Website

2010/06/08

ヴォルカーの裸形

奇妙なヌード写真を撮る写真家がいる。クリストファー・ヴォルカー (Christopher Voelker)、彼はヌードを通して、人間という“場所”を撮っているのかもしれない。ここでいう場所とは、本来あるはずの姿とでもいうべきものだ。とりわけ女性の裸体というフォームによって、その姿を写し撮ろうとしている。裸体というより裸形という言葉のほうが、より写真のもつニュアンスに近いかもしれない。

2010/06/07

ディアゴスティンの東京

イタリア・ヴェニス生まれの写真家レナト・ディアゴスティン(Renato D'Agostin)が、ちょっと変わった切り口で東京を撮影している。すべてモノクロ写真で、どこかで見たことがあるような気もするのだが、やはり新しい。それは皮膚感覚のようなもので、森山大道のようなアレがあるかと思うと、シャープさが感じられ、巨大でシステマティックかと思えば人間的。いずれにせよ全体的な印象は、掴みどころがなく、混沌としてブラックホールのようなメガロポリス東京を写し撮っている。それは現実を捉えながら、それが抽象へと接近しているからだろう。

ディアゴスティンは1983年生まれ。01年から写真家として活動を開始した。これまで欧米の大都市を撮影し、東京については昨年暮れに「Tokyo Untitled」を出版した。



Tokyo Untitled」は
amazon.comで購入可能
$45.00





※ Renato D'Agostin "Tokyo Untitled"
東京の写真43枚が閲覧可能


2010/06/03

大野一雄の即興

肉体のなかには、命というものが形となって宿っている。舞踏は、この“肉体”をなによりも大切にした。信仰といってよいほどに。それゆえ、そこに巣食う醜さや秘密を抉りだし、包み隠さず曝けだそうとする。ナンセンス、破廉恥と蔑まれようが、狂気と名指しされようが、あらん限りの力をつくして命を輝かせ、形を炙りだす。

大野一雄の舞踏は、徹底した即興によってそれをした。その舞踏は、形式を肉体にあてはめることをしない。肉体に宿った形を瑞々しく象っていく。ときに大野の姿はこの世のものではない妖しさを纏った。しかし、そのロマンティシズムは徹底したリアリズムに支えられている。大野はこう語っている。形はおのずと命に追いすがってくるものだと。

2010/05/31

ヌガの撮ったトゥルカナ族の肖像

写真家ジハド・ヌガ(Jehad Nga)の写真が美しい。
アフリカ中東部ケニアの部族トゥルカナ(Turkana)族の肖像がとくに目を惹く。黒い背景に、黒い肌を独特のライティングで浮かび上がらせている。鮮烈な色彩の装飾品にもまして、人々のまるで芸術品のような姿が印象的だ。

ジハド・ヌガは米カンザス州生まれ。UCLA在学中にナターシャ・メリット(Natasha Merritt)に触発され、 写真を始めた。ボランティアとして中東に赴き、現地を撮影。2004年以降は東アフリカに拠点を移し写真を撮り続けた。2010年イラクで撮影し写真がNewsweekの表紙を飾り、これが全米報道写真協会(NPPA)の報道写真部門で1位を獲得している。

個展「Turkana」が、米ニューヨークのボニー・ベンリュビ(Boni Benrubi)画廊で開かれている (7月16日まで)。

Jehad NgaのHPへ