2016/08/25

アーロン・シスキンのミロ写真



ミロがモノクロ写真を撮ったらこうなるのかもしれない、と思わせたのは、アーロン・シスキン (Aaron Siskind, 1903-91) の写真を見たときだ。
そこではグラフィカルな視覚効果が中心に考えられ、ミロのような幻想はなく、ただただ風景のなかに見出した模様が無機的に浮遊している。そこにいくばくか乾いた抒情が漂う。抒情というより、諧謔というほうが近いかもしれない。

2016/07/25

鈴木八郎、過酷な庭 2/2


(承前)

昭和13年、日中戦争のなかにあって近衛文麿内閣が国家総動員法が施行した。写真家鈴木八郎が上梓した「わが庭を写す」の表紙には、三輪車を写した白黒写真が載せられている。蔦のしげる家の壁、開き窓のした置かれた三輪車は、子供の使う玩具にもかかわらず大きな存在感を放っている。簡素な構造だが機能的でどこか神経質な感じもある。揺れ動く時代のなかで国や社会の思いを仮託されたかのような形にも見える。

2016/06/25

鈴木八郎、過酷な庭 1/2


「鈴木八郎のまなざし - オリジナルプリント - 」

鈴木八郎(1900-85)の名前は、写真雑誌『カメラクラブ』『写真サロン』の編集長とアーカイブされていることが多いのかもしれない。戦前戦後という時代が激しく動いていたころのことだ。しかも、写真撮影のための指導書を60冊以上も出版し、晩年はペンタックスギャラリーの館長も務めた。



2016/05/15

コルダの撮ったゲバラの肖像

キューバの写真家アルベルト・コルダ(Alberto Korda, 1928 - 2001)ことアルベルト・ディアス・グティエレスは、1960315日にチェ・ゲバラ(Erneto Che Guevara)を撮影した。『英雄的ゲリラ』と題されたその写真をもとに、赤と黒でデザインされたゲバラの顔は、革命のイコンとして最も象徴的なもののひとつとなっている。

2016/04/10

マリー・エレン・マークの会話 3/3

 
(承前)
すこし話を戻す。
Streetwise』はもともとライフ誌の「Streets of the Lost」という写真記事として83年に掲載されたものだ。これ素材としてエレン・マークの夫で映画監督のマーティン・ベルは、同名のドキュメンタリー映画(邦題:子供たちをよろしく)を撮影している。

2016/03/06

マリー・エレン・マークの会話 2/3

(承前)
トルコを撮影したエレン・マークの写真は訳10年をへた74年に、はじめての写真集『Passportパスポート』として出版される。この処女作以降、彼女は79年にオレゴン州立精神病院の女性病棟を舞台にしたモノクロ写真集『Ward 81』、81年にはインドのムンバイで売春婦たちを撮影したカラー写真集『Falkland Road: Prostitutes of Bombay』、88年シアトルを舞台に家を失った10代の子どもたちを撮ったモノクロ写真集『Streetwise』、さらに03年には双子をテーマにポラロイドカメラで撮影した『Twins』などを出版する。

2016/01/30

マリー・エレン・マークの会話 1/3




マリー・エレン・マーク (Mary Ellen Mark (March 20,1940-2015)は、アメリカ東部のペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のエルキンス・パークに生まれ、9歳からコダック製の箱型ブローニーで写真を撮り始めた。大学は名門ペンシルベニア大学に進み、絵画と芸術史を専攻する。62年に卒業したあといったん行政機関に勤めるが、すぐに復学して同大学アネンバーグコミュニケーション大学院でフォトジャーナリズムを学ぶ。その後、フルブライト奨学金を得て1年間トルコに滞在した。

2015/12/15

サリー・マンと聖獣 2/2

(承前)
サリー・マンの撮影した写真の痛々しさ、壊れやすさ、美しさは、たしかにセクシュアルな感覚を刺激しないではない。作者自身の制作意図がどこにあったのかは、よくわからないが、身近な被写体を前に、ここまで徹底して妖精世界的な美を映しだした感覚には驚きを隠せない。